
人工眼(人工視覚、人工網膜)とは失明した人の体内に埋め込んで視覚を再建する人工感覚器です。私たちは1995年以来、省庁や民間財団の支援のもとでプロジェクトを進め、日本における人工眼研究を推進してきました。特に再生医学とMEMS(Micro-Electro Mechanical System)技術を融合したバイオハイブリッド型人工眼は、諸外国に例を見ない日本独自の人工眼として注目されています。なお2006年12月より日本科学未来館(東京、台場)にバイオハイブリッド型人工眼のレプリカが常設展示されています。
人工眼とは?
視覚神経への電気刺激によって失明者の視覚を再建する工学システムを総称して人工眼(Visual prosthesis)といいます。研究グループによっては人工視覚(Artificial vision)と呼んでいますが、どちらも同じものです。眼球や脳の視覚皮質へ電気刺激を行うと光を感じることが古くから知られているのですが(「電気的閃光(Electrical phosphene)」)、人工眼はこの原理に基づいています。例えば、網膜や脳の視覚皮質のある1点を電気刺激すると一つの点が見え、複数箇所を刺激すると複数の光の点を見ることができるのです。したがって十分な刺激点があれば、電光掲示板のような低次レベルの形態視(物の形がわかる能力)を、そして将来はより高精細な視覚情報を再建できると考えられています。
生体の体内は電解質溶液で満たされているため、細胞の近くに電極を置けば細胞と電極が離れていても電気信号が細胞に伝わります。そこで現在は、電極を網膜や脳の神経細胞近傍に置いて神経細胞を電気刺激しています。しかしこの方法では細胞膜の外側から電気刺激するため、より多くのエネルギーが必要であることが問題で、人工眼を実用化する際の最大の問題となっています。この問題を解決するために私たちの研究グループは再生医学とMEMS技術を融合した「バイオハイブリッド型人工眼」の研究開発に取り組んでいます。
人工眼は電気刺激する場所の違いにより、脳刺激型(Cortical implant)、視神経刺激型(Optic nerve implant)、網膜刺激型(Retinal implant)に分類できます(なお網膜刺激型は日本では人工網膜とも呼ばれています)。さらに私たちのグループが研究を進めているバイオハイブリッド型(Bio-hybrid implant)や、神経伝達物質で刺激する化学刺激型を加えると、5種類の人工眼が各国で研究開発されています。
(詳細は以下の文献を参照)
- ブレイン-マシン・インタフェース最前線―脳と機械をむすぶ革新技術, 工業調査会, 2007.
- 視覚神経刺激による視覚機能代行−人工眼(人工視覚), BME, 18, 4, 36-42, 2004.
- ハイブリッド型人工網膜, 応用物理, 73, 8, 1095-1100, 2004.
- 人工眼(人工視覚), 現代医療の最前線(後編):人工臓器とメディカル・エンジニアリングの進歩, 42-51, 2003.
- 人工網膜による機能再建, 月刊眼科診療プラクティス, 91, 74-77, 2003.
- Retinal Prosthesis: An Encouraging First Decade with Major Challenges Ahead, Ophthalmology, 108, 1, 2001.
- 失明を治す人工の眼, 理研ニュース, 202 April, 1998.
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脳刺激型 |
ドーベル研究所(ポルトガル)、 ユタ大学(米国)、 イリノイ工科大学(米国)、 Miguel Hernandez大学 (スペイン)、 Ecole Polytechnique de Montreal(カナダ) |
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糖尿病網膜症、緑内障、網膜色素変性、加齢性黄斑変性、外傷、視神経萎縮など大半の失明疾患 |
視神経刺激型 |
ルーベンカトリック大学(ベルギー) |
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網膜色素変性、加齢性黄斑変性 |
網膜刺激型 |
南カリフォルニア大学&セカンドサイト社(米国)、 ハーバード大学&マサチューセッツ工科大学(米国)、 オプトバイオニクス社(米国)、 ヒューストン大学(米国)、 ボン大学&その他(ドイツ)、 インテリジェントインプランツ社(ドイツ)、 チュービンゲン大学&その他(ドイツ)、 東北大学(日本)、 ニデック社&その他(日本)、 岡山大学&その他(日本)、 ニューキャッスル大学&その他(オーストラリア)、 ソウル国立大学(韓国) |
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網膜色素変性、加齢性黄斑変性 |
バイオハイブリッド型 |
東京工業大学&理化学研究所(日本) |
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大半の失明疾患 |
化学刺激型 |
ウェインステイト大学(米国) スタンフォード大学(米国) |
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大半の失明疾患 |
人工眼研究の歴史
古文書に記載されている1755年のLeRoyによる実験は別として、1968年のBrindleyとLewinによる、専用刺激装置を脳内に完全埋植して電気刺激した実験が世界最初のものと思われます。以下の年表が示すように研究開発の歴史がもっとも長い脳刺激型人工眼は、装置開発の技術的難易度が低く、かつボランティアの失明患者が参加した臨床実験も数多く実施されていることから、実用化が一番近いと期待されています。
1755年 1896年 1953年 1968年 1970年前半 1988年 1991年 1992年 1995年 1998年 2001年 2004年 |
ヒト眼球への電気刺激 (LeRoy) ヒト頭部への磁気刺激 (d’Arsonval) 脳を電気刺激する人工視覚の特許 (Shaw) 強膜・脈絡膜を電気刺激する人工視覚の特許 (Tassicker) ヒト視覚野への電気刺激 (Brindley ・ Lewin) ヒト網膜への電気刺激 (Potts and Inoue) 脳を電気刺激する人工視覚の研究開発 (Dobelle, Schmidt) Epi-網膜を電気刺激する人工視覚の研究開発 (Rizzo ・ Wyatt) Sub-網膜を電気刺激する人工視覚の特許 (Chow ) 剣山型電極アレイの開発(Normann) Epi-網膜を電気刺激する人工視覚の特許 (de Juan) バイオハイブリッド型人工視覚の研究開発 (八木・内川・渡部) ドイツの人工視覚開発国家プロジェクト 視神経を電気刺激する人工視覚の研究開発 (Veraart) NEDOプロジェクト(八木・田野・太田) Dobelle(脳刺激型人工視覚)没 |
日本の人工眼研究
1995年以来、私たちは文部科学省や民間財団の大型プロジェクトのもとで、本邦初の人工眼研究を推進してきました。2001年に網膜刺激型人工眼の発明(特願2001-101484, PCT/JP2002/03027)を出願した後、その実用化を目指して研究組織の一部のメンバーは招聘を受けて民間企業へ研究の場を移し、経済産業省および新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の国家プロジェクトとして、網膜刺激型人工眼の研究開発を開始しました。そして2004年春には人工視覚システム1次試作機を完成させました。しかし依然として技術的に解決すべき問題が山積しています(人工視覚システム中間評価報告書)。
そこで現在は研究拠点を東京工業大学および理化学研究所へ移し、より高度な技術を導入して、多くの失明疾患(糖尿病性網膜症、緑内障、外傷、網膜色素変性,自己免疫網膜症、加齢黄斑変性)に適用可能であるバイオハイブリッド型人工眼の研究開発を進めています。この人工眼は、再生医学とMEMS(Micro-Electro Mechanical System)技術を融合した、諸外国に例を見ない日本独自の人工眼として海外からも注目されています。
バイオテクノロジーとエレクトロニクス/メカニクスを融合したバイオハイブリッド技術は、人工眼だけでなく他の人工感覚器や神経インタフェース、脳神経系機能の新しい測定技術、そして各種Bio-MEMSやバイオチップなどへも応用できると考えられ、21世紀の重要なテクノロジーになることでしょう。
プロジェクト沿革
1995年 1996年 1998年 2000年 2001年 2004年 |
バイオハイブリッド型人工眼の研究開発を開始 文部省科学研究費試験研究「培養細胞と半導体素子を用いたハイブリッド型人工網膜に関する研究」 テルモ科学技術振興財団特定研究助成 「培養神経細胞と半導体デバイスを組み合わせた視覚代用臓器「ハイブリッド型人工網膜」の開発」 文部科学省科学研究費基盤研究A「視覚代用臓器「ハイブリッド型人工網膜」に関する研究」 網膜刺激型人工眼の発明(特願2001-101484, PCT/JP2002/03027)を出願 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「人工視覚システム」 人工視覚システム1次試作機完成 バイオハイブリッド型人工眼の研究開発を再開 |